シカネーダーとワーグナー

『シカネーダー伝〜『魔笛』を書いた興行師〜』を読み終わりました。これを読むと、シカネーダーとワーグナーが非常に近いところにいることが良くわかります。『魔笛』を訳している最中に「ワーグナーに似ているなあ」と思ったことがたくさんあったので、やはりそうかという感じです。
本書では、冒頭の大蛇が『ジークフリート』に影響を与えたのではないかと書かれていますが、『魔笛』には、それ以外にもワーグナーを感じさせるところが多々あります。
例えば、パパゲーノがタミーノに「君の親はだれだい?」と尋ねられて「知らないよ」と答えるところは、パルジファルにそっくりです。(『パルジファル』のほうが、『魔笛』にそっくりというべきですね)
同じくパパゲーノが笛を吹きそこなうところ、これまた『ジークフリート』ですね。
『魔法の笛』の由来が『指輪』のノートゥングを思わせることは、訳者コメントでも触れました。

それ以外の面では、シカネーダーの「劇場」に対するこだわりも、ワーグナーと似ていますね。シカネーダーは「アン・デア・ウィーン劇場」、ワーグナーは「バイロイト」を自分用の劇場として実現させます。ワーグナー同様、シカネーダーもパトロンからの資金援助を得ているのですが。
また、シカネーダーは「舞台転換」の名手だった(そう言われると『魔笛』って舞台転換だらけです)そうなのですが、これは『パルジファル』で使われるバイロイトの舞台転換装置を思わせます。

ところで、彼の死は1812年9月なのですが、その8ヶ月後の1813年5月、ワーグナーが誕生しています。
これはナポレオン戦争終結し、約100年のヨーロッパの長い平和(普仏戦争など限定戦争は例外として)が始まる頃なのですが、シカネーダーの仕事というのは、むしろそれ以後の時代を跳び越えて、映画・テレビ大全盛の現代に直接接続しているように思えます。
とはいえ、ネットの時代になって、そのような「大衆動員型スタイル」というのは徐々に下火になっていくように思えるのですが、どうでしょうか?