「トリスタン」のなぞ(2)

今日も相変わらずモーツアルトを聴いておりますと、ネットで年末ジャンボ宝くじの当選番号を調べていた家人が「アアッ!」と大声を出します。こちらも「オオッ?」と思ったのですが、「3千円当たった!モトは取ったよ!」と叫んでいるので、ズッコケました。商売じゃないんだから元を取ってどうする?と思ったのですが、まあ幸先がいいと思うことにしましょう。
さて、今夜は「トリスタン論」の続きで、テーマは「トリスタンの罪と罰」です。・・・突然、重い話題になりますね(笑)
前回は、「トリスタンがなぜイゾルデをアイルランドに迎えに行くか」というナゾに対して、「その時は、トリスタンはそれほど深くイゾルデのことを想っていなかったから」という回答を与えました。
このことがなぜそれほど重要かというと、それがトリスタンの致命的ミス、取り返しのつかない錯誤であり、その「錯誤の罪」をトリスタンは死をもって償わねばならない、ということだからです。
この時イゾルデへの想いを意識していれば、トリスタンはアイルランドには出向かなかったでしょう。また、逆に、全く好きでも何でもないならば、第1幕で毒薬とおぼしき酒を飲むこともないはずです。
トリスタンの罪とは「自らの恋に気付くべき時に気付かなかった」ということであり、その罰は「死」です。
ところで、『トリスタン』という作品では、「愛の死」という言葉があまりにもクローズアップされすぎているきらいがあり、そのせいで、トリスタンのあくなき「生への願望」をなおざりにする傾向があるように思えてなりません。
もちろん、「愛の死」という捉え方自体は正しいのですが、それが意味を持つのは、「生」を希求しているはずのトリスタンが上記の自らの罪によって死の運命を背負うことにあり、その運命を受け入れるプロセスこそ、この作品の本質を成しているのではないかと思えます。(続く)