ニーチェのワーグナー論(2)
ニーチェの遺稿『ニーチェ対ワーグナー』から『救済の使徒としてのワーグナー』という章の対訳を掲載します。タイトルからも分かるように、ここでのテーマは『パルジファル』の批判です。全体は3部に分かれており、1は詩、2と3は文章です。
今日は、1を掲載します。(ニーチェの原文は、ネットからダウンロードしたものです。)
Wagner als Apostel der Keuschheit.純潔の使徒としてのワーグナー
1
— Ist das noch deutsch?
・・・これをしもドイツ的だと?
Aus deutschem Herzen kam dies schwüle Kreischen?
ドイツ人の魂からだと?こんな暑苦しいキンキン声が?
Und deutschen Leibs ist dies Sich-selbst-Zerfleischen?
ドイツ人の体からだと?こんな風に自分の肉をついばむものが?
Deutsch ist dies Priester-Hände-Spreizen,
ドイツ風だと?司祭が手を広げるこんなやり方が?
Dies weihrauchdüftelnde Sinne-Reizen?
線香の臭いをプンプンさせて官能を刺激するものが?
Und deutsch dies Stürzen, Stocken, Taumeln,
これがドイツ風だと?このつまずき、どもり、ふらつくものが?
Dies zuckersüsse Bimbambaumeln?
砂糖漬けのガンゴン鳴ってブラブラ揺れるものが?
Dies Nonnen-Äugeln, Ave-Glockenbimmeln,
この修道女の目くばせが、祝福の鐘のキンコンカンが、
Dies ganze falsch verzückte Himmel-Überhimmeln?…
この、いかさまの恍惚だらけの天をも凌駕する天国の一切合切が・・・?
— Ist das noch deutsch?
・・・これをしもドイツ的だと?
Erwägt! Noch steht ihr an der Pforte…
よく考えるのだ!君達はまだ門前に立っている・・・
Denn was ihr hört, ist Rom, — Roms Glaube ohne Worte!
なぜなら君達が聴いているのはローマだ。言葉なきローマの信仰だ!
★ ☆ ★ ☆ ★
以上ですが、言っていることが当たっているかどうかは別として、言葉の使い方が独特で興味深いものがあります。
7行目の『ガンゴン鳴って』と訳した「Bimbam」という単語は、マーラーの3番の第5楽章の子供たちの歌い出しにも使われていますが、鐘が鳴る音の擬音なのでしょうね。パルジファル第1幕・第3幕の舞台転換の鐘の音を指していると思われます。