年末なので第9を聴いていた(ブルックナーだけど)

年末と言えば第9ですが「第9ちがい」です。これに限らず、家にいっぱい同じ曲があるので少し整理してみようと思ったら、かえってますます気になって、新しいCDを購入するハメになっています(笑)。最近、意識して自覚的に聴くようにしているので、よけいそうなるのですが・・・。聴いてみたのは、以下のCD。(まったく順不同ですが)

ヴァント ベルリンフィルライブ 1998
カイルベルト ハンブルク国立管ライブ 1958頃
スクロバチェフスキ ミネソタ管 1997
シューリヒト ウィーンフィル 1962
朝比奈 大阪フィル 1995
ティントナー スコットランド国立管 1997
シューリヒト ベルリン市立管 1943
ワルター ニューヨークフィル 1946
ブロムシュテット ライプチッヒゲヴァントハウス 1995
チェリビダッケ ミュンヘンフィル 1995
アーベントロート ライプチッヒ放送響 1951
ヴァント 北ドイツ放送響ライブ 1988
ショルティ シカゴ響 1985
バルビローリ ハレ管 1966

さて、この中で、私がこれはどうしてもダメというのはショルティとスクロバチェフスキだけで、あとはみんな聴けます。ショルティブルックナーを聴きたい人はあまりいなさそうですが、スクロバチェフスキはザールブリュッケン(未聴)なら聴けそうな気がするので、アメリカのオケとブルックナーの相性が合わないだけなのかも知れません・・・。(私の相性も良くないのかも知れません)
ただ、残った中でも、ヴァントのベルリンフィルライブ、カイルベルトアーベントロートはあまり良くないような気がします。ヴァントがダメなのは意外なようですが、彼はライブの人で、意外と当たり外れが多く、ダメなときにはダメです。(彼のベルリンフィルライブでは「5番」は良いと思います。)
残った中で特にいいと思う演奏を下記に記したいと思うのですが、第1楽章・第2楽章は、どれも聴けます。問題は第3楽章で、この曲が未完ということもあるのか、解釈が人それぞれです。そこが面白いといえば面白い点です。

・シューリヒト(62年ウィーンフィル
 これは定盤。シューリヒトとウィーンフィルの音を浮き彫りにするような音楽は、今聴いても素晴らしいと思えます。案外、古風ではなく現代的な感じがするので、初めて聴く人には、かえって新鮮に聴こえるかも知れません。難を言えば、第3楽章がサラッとしすぎのような気が昔からしています。そのために、この楽章が私のずっと気になる原因になっていました。43年のベルリンフィルとのライブもいいのですが、やはり音質が悪く、音楽そのものもムラがあるように思いますので、ウィーンフィルで十分だと思います。

ブルックナー:交響曲第9番

ブルックナー:交響曲第9番

・朝比奈(95年大阪フィル)
 95年の大阪シンフォニーホールでの録音ですが、実質ライブじゃないかと思います。今から振り返ると、この頃が彼の最後の円熟期だったと思います。私は確か96年にこの曲のN響とのライブを聴きましたが、その時ももちろん良かったが、それほどでもなかったと思います。やはりこの録音のように手兵の大阪フィルとの演奏が良いと思います。
 不思議なことに、朝比奈のブルックナーを高く評価しない日本の評論をよく見受けるのですが、なぜそうなのかの論拠が今一つ良く分かりません。というのは、録音で聴く限り、どう聴いてもオーソドックスな演奏なので、これがダメならあらゆる演奏が全てダメじゃないかと思うのですが??(だから偏見さえなければ間違いなく世界的に評価されるはず。)少なくともヴァントを評価する人は朝比奈とこの時期の大フィルは評価できるはずで、そうでなければおかしいと思います。もし、オケがミスをする(この演奏では第1楽章の展開部や第1主題再現の後の行進曲で乱れるのが気になります)ということなら、それはそれでわかりますが、あくまでミスです。ただ、ミスをして一番しまったと思っているのは指揮者自身でしょうから、その点は当然減点です。
 それはそれとサウンドについては、この音源の例えば第1楽章の第2主題から第3主題にかけてを取り出してみると良くわかりますが、充実きわまりない響きです。また、第1楽章のコーダも圧倒的。実に正統です。スケルツォは朝比奈の得意とするところで第2楽章も圧巻。第3楽章もまた真っ正面から、この謎めいた音楽に向かっている感じ。問題が解決しないままさまよい続けて行くさまが素直に表現されていて、最後のカタストロフィへと向かって行きます。その後、もう一度最初の木管と低弦の会話が再現し、また爆発するのかと思いきやフッと抜けて行く部分が私はとりわけ大事だと思うのですが、ここもさすが真剣きわまりない演奏で、いささかもたるむことはありません。その後、明るい木管の響きがふっと抜ける所はもっと良くなりそうなのが、私としては若干憾みに感じます。
朝比奈のブルックナー演奏は、宗教的な峻厳さではなく、とてもヒューマンな感じがします。彼は基本的にライブの人なので、評価が低い人は悪い時のイメージを持っているのかも知れません。良い時の演奏で聴いてみてほしいところです。この盤も良いと思うのですが、最高の演奏は「8番」の94年大阪フィル・サントリーホールライブで、こちらは彼の生涯でもトップクラスの演奏じゃないかと思います。

・ヴァント(98年北ドイツ放送響・リューベック大聖堂ライブ)
 今回の中で私が一番良いと思うのはこれです。まさに本物です。オケが完全にヴァントの意図通りで、どこを取っても素晴らしいのですが、特筆すべきは木管(特にフルート)のフレーズの表情深さで、前述の第1楽章第2主題の後半で弦楽器に絡みついて行く木管の静謐さに涙が出て来ます。そもそもの音楽が良いのですが、この木管楽器は何なんだ?という感じ。朝比奈・大フィルと比べると、こういう素晴らしさが本場のオケは一段優れていたと私は思います。(今はどうでしょうか?)全編にわたって、フルートが本当に素晴らしい。また、オケ全体が大聖堂で残響が残るのをうまく活かしているように思えるのも面白いです。
 一方、このCDは同じ場所の「8番」ライブもカップリングされているのですが、こちらはヴァントとしてはあまり良くないような気が私にはします。このあたりが面白いところで、逆にこの2曲がいかに異なる曲か教えてくれているように思えます。

ブルックナー:交響曲第8番&第9番

ブルックナー:交響曲第8番&第9番

チェリビダッケ(95年ミュンヘンフィル・ライブ)
 チェリのブルックナーというのは一つの宗教のようなものだと思うので、信者でない者があまりとやかく言うのは気が引けるのですが、あえて一言言うなら、これは「オーケストラ芸術の最高峰」でしょう。一瞬一瞬の響きへのこだわりが他を圧しています。また、その指揮者のこだわりを実現するミュンヘンフィルが凄い。周知のように極めて遅いテンポなのですが、その間引き伸ばされた木管の音が少しずつクレッシェンドしつつ常に全くブレません。これ、ちょっとできることじゃない凄いことで、チェリでなくちゃ団員もそっぽを向くのではないかと思います。仮に、オケの演奏がフィギュアスケートだとすると、いわば技術点で減点なしの10点満点に加算点が10点というような演奏です。実際に楽器をやる人ほど評価できる演奏のようにも思えます。(私は真剣にやったことがないので想像ですが。)
 その上であえて言えば、やはり第3楽章の解釈でしょう。出だしの旋律をすごくまろやかなメロディーとして演奏しているのですが、これはどうかな?と思います。また、第2主題も同様に極めて美しく演奏しているのですが、これも疑問です。決して重箱の隅をつついているのではなく、ここは解釈にかかわっている部分で、この楽章がとても予定調和的に聴こえてしまうのです。もっとゴツゴツした謎のようなものなはずの音楽を、削ぎ取って滑らかにしてしまっているように私には思えます。これは紛れもなくチェリの解釈ですから、これで良い人にはそれで良いのですが、私にはどうもしっくりときません。これに限らず、チェリが指揮する時のフレージングは他の指揮者と違う場合があるので、良くも悪しくも彼の美学だと思います。

・ティントナー(97年ロイヤルスコッティッシュフィル)
 逆に第3楽章に見るべきものがあると思うのはこの演奏。ティントナーは素朴で、サウンドという点ではすごく小じんまりとしています。この曲の第3楽章もやはりそうなのですが、この自然体が感動的で、特に最後のカタストロフィからコーダの部分が本当に素晴らしく「ふっと明るくなる」所の木管が最高です。説明できない人間性のようなものを感じさせてくれる逸品だと思います。NAXOSは、よくこの人を全集に起用してくれたよと感じます。

ブロムシュテット(95年ゲヴァントハウス)
 高い評価があったので聴いてみたものです。確かに第1楽章・第2楽章は、オケの音も充実していて素晴らしいと思う。ただ、第3楽章で集中が途切れるような感じで、やや竜頭蛇尾のような気が?ブロムシュテットの指揮は誠実に向き合っている印象だが、今一つ捉えきれていない感じを受ける。ただ、良い演奏なのは間違いないです。シューリヒトをイメージさせます。今はどんなブルックナーになっているのか聴いてみるべきだなと思いました。

・バルビローリ(66年ハレ管)
 第1楽章の第1主題登場の直前に全然楽譜には無いタメがあるなど独特の演奏。つまり全然オーソドックスではないのですが、とても聴けてしまいます。困ったものだ・・・というか、このような演奏があるから楽しいとも言えます。バルビローリはさすがの人で、実にヒューマンな音楽を作り出してしまう。このような人間的温かみを感じさせる人というのは他になかなかいないでしょう。ハレ管は決してうまくないのですが「ヘタうま」というのがあるような気がします。現代のオケというのは、たいがいこの時のハレ管より技術的にはうまいと思うのですが、「ウマうま(?)」になっているかどうかは微妙です。

ワルター(46年ニューヨークフィル)
 思いっきりヒストリカルです。あまりブルックナーらしくもないのですが、バルビローリと同じで、やはり確固とした信念のようなものを感じさせて、最後までじっくり聴いてしまいます。音質は悪いので、あえて薦めるようなものではないですが、聴いてみた価値はありました。

 最後にまとめると、自分の好みとしては、やはり1番良いのはヴァント。それとほぼ同列で朝比奈が続く感じですが技術点が少し落ちる感じです。チェリは超名演ですが敬して神棚に祀っときます(録音嫌いの当人のためでもあるかも知れません)。ティントナーは、第3楽章に関してはヴァント・朝比奈よりもしっくりくるので、そこが面白い所でした。
 それにしても、90年代半ばから後半にかけてのブルックナー演奏のすさまじさというのは、今から振り返ってみると凄いです。「戦中派世代の最後の輝き」とでも言うんでしょうかね?

さて、ブルックナーはこれぐらいとして、今年も残すところあと僅かというところで振り返ってみると、今年は「ジークフリート」「黄昏」「トリスタン」を舞台で見られたし、「パルジファル」もコンサート形式で聴けた良い年でした。あとは「影のない女」「アラベラ」で後期のR・シュトラウスが良くわかってきたのは収穫でした。新国立劇場の上演の質がとても高くなってきたと思うので「来シーズンはどうかなあ?」と思っています。予算削減で小じんまりとするんじゃないかと言われていますが、それはそれなりに楽しみようがあると思ってます。海外のスターが来てくれるのは当然ありがたいですが、今年聴いた限り日本人歌手のレベルもかなり高いと思うので、うまく組み合わせて上演してほしいところです。