飯守泰次郎氏の「魂のワーグナー」〜新国立劇場「パルジファル」11日

10月11日に、新国立劇場の『パルジファル』に行ってきました。5日に引き続き2回目です。
全体として、5日を上回って、さらに良くなっていました。2回目を見て良かったです。前回もオケの音色や歌手の点で素晴らしかったのですが、第2幕の後半がうまく流れていなかったり、聖金曜日の音楽の最初のオケと歌手が揃っていなかったり、という点が気になったのですが、今回は、それらの点がずいぶん良くなっていました。
とりわけ第2幕の後半は、本当に素晴らしい演奏で、クンドリーのヘルリツィウスさんの歌声が凄かったです。心をわしづかみにされ、呆然とするような体験で、得がたいワーグナー体験となりました。「幼な子」のアリアから、幕切れに至る歌唱の全てが素晴らしく、これまでの人生でも屈指の感動を与えられました。こんな贅沢な思いをしていいのだろうか?というぐらいの感じで、心の底から満足しました。(カーテンコールで、ヘルリツィウスさんは会心の笑みでした。)
得がたいと言えば、飯守泰次郎氏の指揮する東京フィルもそうで、実に見事でした。
第1幕の舞台転換の音楽も、5日の演奏はもう一つのように感じられたのですが、今日は全てがはまっていて素晴らしかったです。私のライブ体験においては、最名演でした。クライマックスに向かうヴァイオリンや木管のトリル、最初のクライマックスの所のトランペットが半音階的に後を引くところ、3回の「爆発」を含め、全て隙がなくピタピタとはまっており、非の打ちどころのない名演だったと思います。
しかし、飯守氏の解釈の見事さは、そのような盛り上がる箇所だけではなく、この長大な作品全体が、全てが聞かせどころであり、内面的なライトモチーフの発露だという意識を隅々まで張り巡らせていることです。これこそ本物のワーグナーでしょう。セリフの意味を汲み取って、オケが繊細に細部を表情づけるところが素晴らしく、全く上滑りなものがありません。
上記の点は、5日の演奏でももちろん感じられ、だからこそ高い評価だったのですが、5日は飯守氏の感情の振幅とオケの振れ幅が、もう一つ合っていないような気がしました。いわゆる、指揮者の意図に、あと少しオケがついて行ってないという感じでした。
しかし、11日は、お互いが歩み寄ったというか、いい意味でカドが取れたような演奏になっていたと思います。(飯守氏の理想の指揮者はフルトヴェングラーだそうで、むしろ5日の演奏のほうが、それを思わせる感じが出ていたのですが、やや軌道修正したら、かえってうまくシンクロしたのでは?という感が、私としてはあります)
飯守氏ご自身も手ごたえを実感されたのか、カーテンコールでも、5日よりずっと晴れやかなお顔をされていたように思えます。合唱指揮の三澤洋史氏と抱き合っておられましたし。
プログラムの冒頭、飯守氏はこの作品のことを「晩年の円熟の極みにあるワーグナーの最後の作品であるのみならず、西洋の精神史における一つの頂点をなす、人類のかけがえのない遺産です」と書いておられます。これは考えてみるとすごい言葉ですが、飯守氏と東京フィルは、まさにそれを有言実行で示したと思います。いい演奏でしか巡り会えない音の世界遺産を2回も堪能できた幸せを感じます。
これだけの歌手にも恵まれ、奇蹟のようなハイレベル演奏だったので、DVDにしてほしいなあ・・・と思うのは私だけでしょうか?
さて、クプファー氏の演出について書きたいと思いますが、だいぶ長くなりそうなので、稿を改めます。