「パルジファル」公演に向けて(2)〜ハリー・クプファー氏インタビューを読んで

新国立劇場のホームページに、演出家のハリー・クプファー氏のインタビューが掲載されていたので、さっそく読みました。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/parsifal/interview/index.html
作品についての考え方は、私の考え方とほぼ一致しています。
前回も書いたように、パルジファルの仏教的側面について思いを巡らしていたところ、今回の新国立劇場の演出がまさに仏教的な面に光を当てるつもりというのは、偶然の符号としか言いようがありません。(「オペ対」訳者コメント(後篇)はこちらから→http://www31.atwiki.jp/oper/pages/456.html#id_5cdcaa9d
以下のコメントは全く同感です。

そしてワーグナーは、キリスト教が制度として形骸化してしまったことを批判し、それを『パルジファル』の中に織り込んだのです。特に騎士団に対して厳しい眼差しを向け、時にヴェールで覆い隠すように暗号めいた形で批判を作品に内包しました。その一方で、仏教の思想を作品の中に取り入れています。キリスト教と仏教、相容れないとされる2つの宗教を倫理的なレベルで結び合わせたのは、ワーグナーのなせる業です。

下記もよく分かります。

─『パルジファル』のどのようなところに仏教の思想が見られるのでしょうか。
クプファー 『パルジファル』の中で鍵となる言葉「共苦によって知を得る」にこそ、キリスト教と仏教の倫理的な原理が込められていると私は思います。「知を得る」とは、仏教の目指すところの「悟り」です。「共苦」とは「共に感じる」「同情する」ということで、これは仏教において自然や生き物すべてに対する思いであり、仏教の根底にある思想だと思います。また「共苦」はキリスト教にもある考え方です。

特に「知を得る」(原語はwissendか?)ことは仏教の「悟り」だというコメントが重要だと思います。「知を得る」の原語は、おそらくwissendで間違いないでしょう。(託宣のセリフ durch Mitleid wissend, der reine Tor より)
キリスト教の第1原理は「主なるあなたの神を愛せよ」なので、仏教の「自らが悟りを得る」という考え方とは、本当はかなり遠いものがあります。キリスト教と仏教が結び合わされているのは、確かにワーグナーの力技ではなかろうかと思います。
次のコメントは面白いです。

─登場人物の中にも仏教的な要素はありますか。
クプファー 『パルジファル』の中で、日本の皆さんだからこそ理解しやすい人物がいます。それはクンドリーです。彼女は、十字架にかけられたキリストを嘲笑したために呪われ、何度も生まれ変わって大変苦しい人生を歩まなければならない運命にある女性です。キリスト教では「魂がさまよう」という言い方をするのですが、それだとクンドリーの存在を正しく説明できません。「生まれ変わる」というのは、むしろ仏教の輪廻転生の思想です。実は、西洋社会ではクンドリーという人物像とどう向き合ったらいいのか分からないという反応が多々あるのですが、仏教を知る日本の皆さんならばきっと分かっていただけると期待しています。

そうか・・・西洋社会だとクンドリーが分からないのか!と。びっくりしました(笑)。私は日本人だから、こんなわかりやすいキャラはいないように思ってしまうのですが、確かに輪廻の考え方が前提にないと分かりにくいのかも知れません。逆にキリスト教の「魂がさまよう」というのが、私にはよく分からないのですが、たぶん自分とは全く別の魂だけが体と分離して悪さをするような状態ですかね?全くの推測ですが、確かにそれだとクンドリーの置かれた状況をうまく説明できないですね。
アンフォルタスについての、下記のコメントも深い意味があると思います。

アムフォルタスの傷は、身体的な傷という以上の意味を持っています。あの傷は、キリスト教がドグマと化してしまったことを表す「傷」であり、ワーグナーが生きていた時代の「傷」だと私は思っています。アムフォルタスの傷はたくさんの意味を象徴しているのです。

アンフォルタスの傷というのは、以前もこのブログで指摘したように様々な意味を持っています。そのうえで改めて痛感するのは、彼は非常に人間的な悩みを悩んでいる共感できるキャラだということです。訳者コメント(後篇)では、彼はクンドリーと会ったとき、イエスとは異なり、堕落してしまうと書いてしまったのですが、それは言い過ぎだったなと思います。単純に堕落するのであれば、クリングゾルの魔の園で楽しく(?)暮せばいいのだが、それもできないということは、彼はやはりクンドリーを愛したということなのかなと思います。ただ、そもそもそう思うこと自体が、救済者としての彼の使命と根本的に反している。その矛盾を解きほぐすことはできないという所に、彼の悩みがあると思います。