オネゲル交響曲第3番「典礼風」第2楽章「深き淵より」

私も大震災の影響・・・とりわけ放射能問題の影響で、ややきつい日々を送っているのですが、直接現地で被災されている方、家族・親戚が被災地にいらっしゃる方のご苦労、ご心労はいかばかりかと思います。私も総計15年近く東北地方で暮らしていたので、被災地のことがすごく気になるのですが、今は自分の仕事を十分に果たすことが使命だと考えています。
単に悲しみを抱いて家に引きこもっていても、きっと誰の役にも立ちません。私達、首都圏にいる人間にできることは「普通の生活を送る」こと。むしろ、いつも以上に活発に消費して、景気の下支えをすることだと思います。
そう思って、今日は午前中、仕事関係で人に会ってから、本とCDを買いに行きました。でも今聴いているのは、もともと持っていたタイトルの曲です。昨日の記事でも紹介したのですが、本当に胸を打つ曲です。あまり知られていないのが残念ですが、これもやはり「超」のつく名曲だと思います。
http://tower.jp/item/1036743/Honegger:-Symphonies-no-1-5,-etc----Plasson
(↑タワーレコードにリンクしましたが、販売状況は「廃盤」とあるので、ご注意願います。
下記リンクは昨日に続き、以前の記事の再掲。ここからYoutubeでのこの演奏に入れます。
http://d.hatena.ne.jp/wagnerianchan/20100425/1272201107
このプラッソンの演奏は第2楽章『深き淵より』が完璧だと感じます。デュトワ、フルネ、カラヤン、ボドなどいろいろ聴き比べましたが、こんなにも曲への共感にあふれ、心に染みる演奏はありません。素晴らしいとしか言いようがないです。冒頭の弦のコラールの後にソロ・トランペットが初めて登場してエレジーを歌い始めるところ、それをまた弦がコラールで受け継ぐところ・・・一つ一つのフレーズが完璧としか言いようのない見事さなので、何百行を費やすよりも聴いていただいたほうが良いと思います。
ところが問題は、このCD、あまり見ないんですよね。上に「廃盤」とあるように、入手困難で、Amazonにも見当たりません。私は中古店(お茶の水のDisk Union)で買いました。価格は1000円以下で異常に安かったです。他のシンフォニーの演奏もすごくいいのに、なぜかしら???フシギです。
この「3番」について、あえて言えば、第1楽章と第3楽章は他の演奏のほうが良い面もあります。たとえば第1楽章はセルジュ・ボドとチェコフィルの演奏のほうが良いと思います。でも、この曲の魅力は何と言っても『深き淵より』なので、プラッソンの演奏が最高です。

オネゲル:交響曲全集

オネゲル:交響曲全集

この曲は『典礼風』(フランス語でLiturgique。「リトゥルジク」というのかな?フランス語の発音ってちょっとかじっただけの私にはすごく難しいです。)というタイトルですが、日本語にするとピンと来ないので、第2楽章のタイトル『深き淵より』をそのままタイトルにしたほうが日本では一般受けしたのではないか?と思います。こういう変更をしても、決して作曲家の意図を傷つけないどころか、この曲を結果的に多くの日本人に聴いていただくことになったのではないかと思います。
この曲は第2次世界大戦の最中に書かれました。楽章ごとに全てラテン語のタイトルがついています。第1楽章が『ディエス・イレ(怒りの日)』、第2楽章が『デ・プロフンディス・クラマヴィ(深き淵より)』、第3楽章が『ドナ・ノービス・パーチェム(我らに平和を与えたまえ)』です。
第1楽章は壮絶な音楽。「怒り」が渦を巻いている感じですが、標題音楽ではないので「何に対する」「誰の」怒りなのかはわかりません。第2楽章のタイトルの理由は、第1楽章の終結地点がまさに「深き淵」そのものだからだと思います。
第2楽章は悲しみの中でひたすら一筋の光明を探し求めるのですが、心の安らぎを得たが早いか、第3楽章は再び「軍楽マーチ」が執拗に繰り返されます。私は、この「マーチ」のリズムというのは、初めて聴いた時からベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』の最終場面からの引用(というよりはオマージュ?)じゃないかと思っています。『ドナ・ノービス・パーチェム』という歌詞も一致するので、まさに「オマージュ」でしょう。オネゲルの解説書があればいいのですが、これだけの作曲家のわりに余り見当たらないのが不思議です。
感動的なのは、曲の最後にもう一度、第2楽章を思わせる静かな音楽となり、フルートが小鳥の鳴き声のようなフレーズを天に向けてかのように歌うことです。プラッソンの演奏は、この箇所も素晴らしいです。したがって、やはりこれが最高の名演だと私は思います。
オネゲルの作品では、アルトゥール・オネゲルという人物の高潔な人格がそのまま音楽に現れているように思えます。私はかねがね音楽を通して「過去の偉大な人物」が肉声をもってしてかのようにそのまま語り出すところに西洋音楽の素晴らしさがあると考えているのですが、モーツァルトワーグナーヤナーチェクなど主にオペラ作曲家が「矛盾を含んだ有りのままの人間」(マーラーもそうですね)を表現するのに対して、オネゲル交響曲は「より高い目標を目指して進歩向上しようとする人間」を表現していると思います。この点で最も近いのは、彼が尊敬してやまなかったベートーヴェンであり、例えばニールセンもこの路線だと思います。
オネゲルの最高傑作は、まず間違いなく『火刑台上のジャンヌ・ダルク』だと思いますが、私は我ながらまだこの作品を完全に理解していないように思えます。(フランス語のリブレットという点がネックになっているような気がします。)
今のところの理解としては、この作品もまた、人間のどうしようもない側面をも描きつつも、やはり「ジャンヌ」という人物の崇高さへの人格的共鳴から成り立っている作品なのではなかろうかと考えています。こちらはまだ一つの音源しか聴いていないのですが、ネット等で見る限り、まさにそのセルジュ・ボド指揮チェコフィルの演奏が最も評価が高いので、たぶんオススメして間違いないと思います。
オネゲル:劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(全曲) 交響的詩篇「ダビデ王」(全曲)

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  • アーティスト: ボード(セルジュ),エダ=ピエール(クリスティアーヌ),シャトー(クリスティアーヌ),ロウバロヴァ(レンカ),セン(マルタ),ロッド(アンヌ=マリー),チェコフィルハーモニー合唱団,ラファリ(ティベール),メジュシュ(ダニエル),ブラシェ(ユゲット),キューン児童合唱団
  • 出版社/メーカー: 日本コロムビア
  • 発売日: 2008/12/17
  • メディア: CD
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私は、昨年、義理の姉(妻の姉ですが、私の妻が病気がちなこともあり、頻繁に会っていた)を突然失ってしまいましたが、その時も『深き淵より』を聴きました。今は東京の桜も満開です・・・。とても綺麗でした。冬が過ぎれば春が必ず来ます。