ヤナーチェクの「熱さ」〜弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」

 コンサートが中止になってお金が帰ってくる分、余暇を見つけてCDを聴こうかなという今日この頃です。
それにしても、人の役にも立たない「自粛ムード」に否定的な意見が多数出て来たのは良かったです。桜は満開なので、今日は雨で残念ですが、明日はぜひお花見を楽しみたいものです。アダム・スミスじゃないですが、自分がいつも以上にお金を使って楽しむことが、今は「見えざる手」で人のためになるのだと思います。
 今日紹介するCDは前から愛聴していたものですが、これを機に紹介しましょう。この曲は二十歳すぎに最初に聴いた時から「おそらくとんでもない凄い曲だ」と思いましたが、どの演奏を聴いても「う〜む・・・。演奏がもう一つのような気が?」という若干フラストレーションを感じていました。ヤナーチェクカルテット、スメタナQ、エマーソンQ、ハーゲンQ、などなど、どれを取っても私には今一つでした。
 それでこれを聴いたのですが、やっと初めて満足できる演奏に出会いました。

ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」 他  (STRING QUARTET No.2)

ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」 他 (STRING QUARTET No.2)

パヴェル・ハース・カルテットのこの演奏は、テンポの取り方やヤナーチェク独特のイディオムを的確に表現していることに加え、フレージングにも独特の「愛情」とか「香気」が感じられるのは、ヴァイオリンの2名が女性というところから来るのかも知れません。
一方で、この曲の魅力は、異様なまでの男性的パッションのほとばしりにあると思います。女性リスナーはここまでやられると「熱すぎて引いてしまう」人が多いような気がします。
また、男性でも、あまり熱くない人はさっぱり分からない曲かも知れません。
このへんは男女を問わず、その人の性格の問題かも知れませんね。例えばバルトークのカルテットというのはどれも傑作で、私も良いとは思うのですが、その冷静さが自分の性格に合わないような気がします。バルトークが好きなのは基本的にクールな人でしょう。もちろんバルトークが常に冷静かというとそうとは言えず、大作曲家なので色々な側面があります。私個人がバルトークの最上の曲だと思うのは、以前あげた「ピアノ協奏曲第3番」の第2楽章で、「これをいつもやっていれば良かったのになあ」などと厚かましいことを考えたりします。
(以前の記事「アダージョ特集」http://d.hatena.ne.jp/wagnerianchan/20100425/1272201107
(↑・・・と思ったらバルトークの画像は消えていました。やむなし。このページはオネゲル「深き淵より」を聴いていただいたほうがいいかも知れません)
性格の違いというのは実に面白いです。私はヤナーチェクの「熱さ」(暑苦しい??)が大好きなので、彼の音楽が好きなのでしょう。
話を戻すと、「ないしょの手紙」というのは名訳で、チェコ語の原題自体が初めはそのものずばり「ラブレター」だったのを彷彿とさせます。(その後に変更したのです。)「70過ぎの人がなんでこんな曲を書けるの?」と思いますが、この曲はダイナミックレンジも通常の室内楽レベルを超えて、あたかもオーケストラの弦楽合奏のように響かせねばならない曲だと思います。一方、繊細さを要求される箇所も当然ながら無数にあり、これを両立させねばならないのが至難の業ではないでしょうか?(実際に弦楽器をやる方にぜひ教えていただきたいところです。)
パヴェル・ハースの演奏は全編にわたって良いのですが、とりわけ良いのは終楽章で、最初の特徴的なリズムのメロディーから、意外なことにアダージョへと移り変わっていくのですが、その両側面がコントラストを保ちながらも融合している・・・そこにこの楽章の言うに言われない魅力があります。第2ヴァイオリンとヴィオラの内声部が実に充実していると感じます。そのことにより、アダージョの一つ一つのフレーズごとに「苦悩」「ためらい」「諦め」「喜び」が万華鏡のように順繰りに現れて来ます。それまで他の演奏で納得できなかった原因は、まさにこの終楽章にあります。
ところで、ヤナーチェクのもう一つのストリングカルテットである「第1番」はどうでしょうか?「第2番」に圧倒的な感銘を受けて、当然パヴェル・ハースQのも買ってみたのですが、予想通り「1番」では私の好みと違いました。
私は、こちらの曲はヤナーチェク・カルテットの1963年の演奏が最上だと思います。これはヒストリカルですが、ディジタルリマスターしているので音質は良いです。私にとってこれを上回る演奏はないです。
http://tower.jp/item/2811544/ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番・2番
約15年前、私はこのカルテットの「1番」「2番」の生演奏を、駿河台の「カザルスホール」で聴きました。その時に圧倒されたのは「1番」で、これは人生で5本の指に入る衝撃的な体験でした。とりわけ、第4楽章のコーダで疾走するように符点リズムを刻み始める箇所から終結部までは自分の魂まで風に乗って運ばれていくような感じがしました。ライブだから倍音がバンバン飛び込んで来る感じで余計凄かったのですが、忘れがたい体験です。もう一つ感じたのは、メンバーが替っているのに、この1963年のCDと全く同じような演奏だったことです。チェコの人にとって、いわば「伝統芸能」なんだなあと感嘆しました。
「2番」と「1番」との違いは、「2番」はいわばオケ曲ですが、「1番」は通常の室内楽曲であることにあると思います。だから両立しなくて当然なのです。ヤナーチェクQは「2番」を室内楽曲としてやり、パヴェル・ハースQは「1番」をオケ曲のように演奏してしまいます。だから私は違和感を感じるのだと思います。
しかし「どちらもうまく演奏しよう」と考えると、結局「どちらも中途半端」なものに終わってしまうはずです。だから、両立させないで良いのだと考えます。
それにしても、ヤナーチェクはオペラ作曲家だったのに、これだけの器楽曲も書いたというのが凄いと思います。ワーグナーは器楽曲にいい曲がないし、R・シュトラウスもオペラ作曲家になって以降は名作があまりないので、彼はモーツァルト以来の唯一の「両刀使い」かも知れませんね。音楽のオリジナリティという点から見ても、ヤナーチェクは最高度に高く評価されてしかるべき芸術家だと私は思います。
ヤナーチェクは、自分が正しいと思うことは絶対に引かない人だったので、プラハの国民劇場の指揮者と対立し、それによって約10年間(!)『イェヌーファ』のプラハ初演が遅れてしまいました。そのことを読んだ時、私はすごく不器用な人生に感じたのですが、「急がば回れ」・・・結局、神が長命をプレゼントしてくれたのですから、それで良かったのだと思います。ワーグナーと同じで人間的な面では欠点だらけでしたが、「自分は芸術の道具だ」と見なして日々勉強を怠らなかったし、その創意あふれる音楽をもって人類の精神史に新しい1ページを付け加えたのは間違いないと思います。かなり大げさな言い方ですが。
私は、やはり15年前ほどに、ブルノのヤナーチェクの晩年の住居(記念館になっている)に行ったことがあるのですが、ちょうど休館日だったので、がっくりして帰ろうとしたら女性の方(たぶん高校生のお子さんがいらっしゃるぐらいの年齢でしたが、スタイルの良いきれいな方でした)が出て来て「せっかくだから開けてあげるわよ。(←確か英語)」と言ってくれたので展示物を見ました。「バックミュージックに何か音楽をかけましょうね。『イェヌーファ』と『カーチャ・カバノヴァ』とどちらが良いですか?」と言ってくれたので、「ではカーチャを・・・」とお願いして、第3幕のカーチャが身投げするシーンを聴いていたのですが、何となく緊張して、あまり見た内容を覚えていなかったりします。ただ、ヤナーチェクがここのテラスで映っている写真を見ると「う〜む。やはりここだったんだなあ」と後で思い返したりしています。「この女性は休館日だったのに申し訳なかったなあ」と思って英語の本(1つはヤナーチェクがカミラに書いた「ラブレター集」(笑。でも直筆のスクリプトなので貴重です)、もう1つは「ヤナーチェクと彼の故郷フクヴァルディについて」の本でした)を2冊買いました。
そのあと「見せていただいて有難うございました」とお礼を言って去ったのですが、大通りに出てしばらくすると、なぜかその女性が「オーイ」みたいなことを言いながら追いかけて来ます。「ゲッ・・・オレ何かしたか?」とビックリしたのですが、ハアハアと息をついている彼女から説明を聞くと「おつりを間違えて少なく渡してしまいました・・・。今正確なおつりを渡しますね。」と言って、お金を渡してくれました。大した金額でもなかったので私はますますビックリしたのですが、その方の誠実な対応に感動してしまって、それがチェコに対する分かち難い記憶になっています。その3年前にも初めてチェコに行ったのですが、その時はビロード革命の3年後ぐらいで、人々がギスギスしていた感じでした。でも、それから3年後のその日のチェコ旅行というのは、人々の顔が前向きなのが印象的で、忘れられないのが先ほどの女性です。社会主義時代なら考えられなかったことかも知れませんが、私の印象では、きっとこの女性はどんな社会にあっても自分を保って生きてきたのだと思います。
この女性にしても、ヤナーチェクの人生にしても、私が思い出すのは、うろ覚えですが、新約聖書のこんなフレーズです。『地に種蒔くは人なり。苗を育てるは人なり。されど花を咲かせるは神なり』・・・妥協しないひたむきな人生もまた良しです。